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一人旅
北海道の四季

― Day1

11:00

母が育った街を目指して。

大学生活も間もなく折り返し。
就活を前にずっとしたかった一人旅をすることにした。
場所はお母さんの出身地の札幌。ずっと行きたかった。

“自分探し”なんて気取るつもりはないけど。
ずっと目を背けていた大きすぎてフレームアウトしていたものと向き合わなければいけなかった。

今回の旅ではお母さんが育った“菊水”という街に泊まる。
記憶はないが私も幼少期に過ごしていた時期があったらしい。
大きな川が流れる街だと聞いている。

展望台

13:30

空に一番近い場所。

空港から札幌駅までは乗り換え無しで約40分で着いた。
札幌駅へ着くと、駅直結のJRタワー・スリーエイトへ。
地上38階高さ160mの展望室は札幌テレビ塔を超える北海道一の高さを誇る。360°札幌の街並みを一望できる聖域にも似たその空間にただただ圧倒された。

空が随分と近い。
これが本当に私の街と繋がっているのだろうか。

生で見る札幌の街並みは本当に美しい。
京都を真似て取り入れたとされる碁盤の目状の都市計画がこの街に秩序をもたらし、敷き詰められたコンクリートが同じリズムで呼吸している。

私はまるで世界から切り取られたような感覚になり
空がこの街に落ちてしまわないか不安になった。

菊水の街並み

15:30

かつてこのホテルは。

札幌駅を出て大通駅で乗り換えて二駅。菊水駅で下車。
ここがお母さんが暮らしていた街―。

この街は札幌の中心部とは雰囲気が異なり、スタイリッシュな背の高い建物に隠れるように歴史を感じるレトロな建物が点在していた。そこに違和感はなく、一体感のようなものを感じた。

ホテルへは予定より早く着いた。
15時のチェックインまで時間があったのでホテル2階のコワーキングスペースを利用することに。 Wi-Fiはもちろん、コンセントも完備されており、ホテルとは思えないほどの快適な空間だ。1階のカフェメニューを注文することもできMORIHICO.の珈琲を飲み終わった頃にはもう15時になっていた。

このホテルはかつてオフィスビル兼倉庫だったそうだ。
一棟丸ごとリノベーションし、完成したのがHOTEL POTMUMらしい。 建物の随所には当時の塗装が残っている。これは意図的に残されたもので、ユーザーに「建物がどのように当時使われていたか。その痕跡や匂いみたいなものを感じてほしい。」との想いが込められているそうだ。

この建物はかつての母や私を知るのだろうか。
返事はない。

客室

15:45

珈琲とシンプルな客室。

ホテルフロントではスタッフが分かりやすく施設について説明してくれた。 このホテルは本館と新館の二棟が一体となったホテルのようだが、今回は比較的リーズナブルな本館のシングルルームを予約した。

白を貴重としたシンプルな内装にハイセンスな家具が調和している客室に大満足だ。荷物を下ろすと自分が少し緊張していたことにようやく気づいた。

ベッドに大の字で寝転んだ。
柔らかい。
素足になった。

私、これからどうなるんだろう。

窓ガラスの外から自由が私を覗き込んでいる。

歩道橋

16:00

誰も私を知らないこの街で。

お母さんに「ここだけは行ってほしい」と言われていた場所が一箇所ある。それが“菊水円形歩道橋”だ。お母さん曰く、小さい頃私はとにかくこの歩道橋が好きだったらしい。歩道橋はホテルから徒歩で10分もかからなかった。

菊水円形歩道橋は昭和46年“日本初”の円形歩道橋として設置されたと聞いて驚いた。外観はまるで空飛ぶ円盤のような形で、建造物としての価値も非常に高いらしい。

眼下では六本の道路が歩道橋の下で複雑に交差している
ふと進路に迷う白い軽自動車が目に留まった。

歩道橋の上からはそれぞれの道がどこかに繋がっているのか分かる。それは札幌の街を見守る藻岩山や豊平川に架かる水穂大橋。

信号が青になるとその車は覚悟を決めたように大きく左折した。
私はどういうわけか清々しい気持ちになった。

ボンネットに反射する西日が目に染みた。

狸小路

17:00

さよなら。夕方先生。

新旧の街並みが織りなす二重奏に心地よく後押しされ、私は札幌の中心部へと歩を進めた。札幌の中心街を東西900mに渡って200軒以上の商店街が軒を連ねる北海道最古の商店街“狸小路”は札幌の中心に位置しながらレトロな雰囲気が漂う異質な街歩きスポット。

こういう時、イヤホンで音楽を聴いてしまうのは勿体ない。
都市の拍動に耳を澄まし、そのうねりを身に刻むこの時間を大切にしたい。

いつだって大切なことは夕方が教えてくれた。

アーケードを抜けて空を見る。
どうやら夕方が夜に侵食され始めたみたいだ。

夜の札幌

19:00

閃光びいどろ 或いは刹那の都。

ネオン管に明かりが灯り、街が赤や青、或いは黄色なんかに着色されていった。 街を往くほとんどの人が表に見えていた街が裏の裏であることに気づいていないようだ。

夕食はホテルに併設のカフェでとる予定だったが、今夜は街で済ませよう。札幌に来たのだ。スープカレーを食べずに帰るわけには行かないだろう。

もう1つ気になっていたこと。
札幌には”シメパフェ”という文化があるらしい。

ちょっと食べ過ぎた。
罪悪感からホテルまでは徒歩で帰ることにした。
札幌の都市部からホテルまでは徒歩で15分もかからなかった。

街が夜に溶けていた。

リバーサイドホテル

21:30

重力を感じる帰路。

昼には気づかなかったが、この辺りは本当に静かだ。
札幌の中心部から徒歩で15分足らずの好立地でありながら、周囲は住宅街なのだろうか。とても落ち着いた雰囲気がある。

ホテルに戻るとフロントスタッフが温かく迎えてくれた。
帰路にみえた大きな川のことを尋ねると”豊平川”であることが分かった。 お母さんから聞いていたやつだ。こんなにホテルの近くにあったなんて。

豊平川は札幌の中心部を貫流する河川で、両岸には全長72.5kmの緑地があり、舗装されたサイクリングロードは地元のランナーに愛されるコースだとフロントスタッフが教えてくれた。

POTMUMで迎える一日の終わり

22:00

今が夢の中でないなんて
どうやって証明できようか。

もう夜も遅い。シャワーで済ませよう。
このシングルームには浴槽はなく、シャワー設備しかない。
しかし、それで十分だ。湯船を沸かす時間を待つくらいなら早く汗を流したい。このホテルのシャワーはレインシャワーだった。
真上から降る温かい水滴が夢との境界を曖昧にし、やがて体に同化する。

ああ。今日が終わってゆく。
今日は色々な場所に行ったな。今ここが北海道だという実感がない。

読書灯は予想通りの色で部屋を寂しく照らす。
今日はなんだか濡れたままの髪で眠りたい気分なんだ。

迎える朝

― Day2

05:30

札幌、一◯八次元の寸陰よ。

どういうわけか今朝は早く目が覚めた。
カーテンの隅から朝日が溢れている。
少し頭が痛い。選ばれなかった方の朝のことが脳裏を過ぎる。

戻っているのかリセットされているのか。
朝は本当に不思議で神秘的な時間だ。

いつも朝はあっという間に時間が経つくせに年に数回こうして“時間がゆっくりと流れる朝”が突然訪れる。
私は全ての時間の中でこの時間が最も好きだ。

豊平川

07:00

リバーサイドホテルとして。

昨晩のスタッフとの会話を思い出し、豊平川へ足を運ぶことにした。

昨晩より随分大きく見えるその川はとても静かで穏やかだった。
河川敷を既に色とりどりのランナーが走っている。
なんて気持ちのいい場所なんだ。

河の流れに合わせて風も空も雲も時間も季節も全部流れてゆく。
立ち止まる私を除いて。

朝食

09:00

旅人とローカルカルチャーの結節点

ホテルに戻ると珈琲の優しい香りが館内に充満していた。
朝食は自家製の“フレンチトースト”。
ふわふわのフレンチトーストの甘みが口に広がってゆく。

館内を見渡すと、地元の方らしき人たちと私のような旅人が半々くらいの割合で朝食を楽しんでいる。ホテルとカフェが併設するこの施設は異なる文化を結びつける結節点でもあったのだ。

旅立ち

10:30

それでも私たちは
旅に出ることをやめない。

SNSは私たちの生活を豊かにした。シェアする喜びも私たちは知った。
反面、私たちはもうSNSに疲れている。

何かをみつけるために出たはずの一人旅の本質は無情にも何かから目をそらすための旅だったのかもしれない。

現代はもう一人になることの方が難しい。

文明の発展は私たちの距離を縮めた。
それでも私たちは旅に出ることをやめない。

未知のウイルスは私たちに距離をとらせた。
それでも私たちは旅に出ることをやめない。

景色や声を世界から切り取って簡単に送れる現代。
それでも私たちは旅に出ることをやめない。

二十一世紀。
“香り”を添付する技術は未だ開発されていない。

私たちが旅に出る理由は現地でしか味わえない“香り”にあるのかもしれない。

「あ、あの街の匂い。」

トランクの中にたっぷり閉じ込めて私は部屋を後にしたんだ。